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TBS『どうぶつ奇想天外!』でヒグマに襲撃され死亡した衝撃事件の一部始終

   

1996年7月25日、動物写真家として有名な星野道夫氏(当時43歳)が訪れたのはロシア・カムチャッカ半島のクリル湖畔グラシー・ケープ。

TBSの人気動物番組『どうぶつ奇想天外』の撮影のためだった。

ここで起きた衝撃事件をご存知だろうか…

普段、何気なく見ていたバラエティ番組に突如発生した事故。

家族でも安心して見れるその内容からは、あまりにも似つかわしくない「死亡」の二文字に、世間は驚いた。

同時にそのニュースは、いつも安全圏でテレビを観ている私たちに、現場で制作者の身に起こっているリアルを痛感させる事件でもあった。

そんなに命懸けで撮影していたのか……と。

事件の発端となった番組は『どうぶつ奇想天外!』。

1993年から2009年の長きに渡ってTBSにて放送されていた、動物をテーマにしたクイズ番組。

2001年9月には番組最高視聴率となる19.6%をマークするなど、子供からお年寄りまで幅広い層に人気を博した。

そんな『どうぶつ奇想天外!』が放送を開始して4年目のこと。

1996年に事件は起こったのだ。

同番組の取材目的でロシアを訪れていた、写真家の星野道夫がヒグマに襲われて死亡してしまったのだ。

ヒグマ撮影のプロに一体何が?
もともとこの写真家は、アラスカでグリズリーの写真を幾度も撮影してきた実績のある、いわばその道のプロフェッショナル。

当然、熊の習性などは熟知していたはずなのになぜ、このような悲劇が起こってしまったのだろうか?

事件の一部始終はこうだ。

星野は自身の持ち込み企画である「ヒグマと鮭」を題材にした写真を撮影するため、TBSのクルーと共にロシアのカムチャッカ半島南部のクリル湖畔へとやってきた。

付近には身の安全を確保できる小屋や「鮭観察タワー」などの宿泊施設があったものの、彼は敢えて湖畔のほとりにテントを設置し、そこへ寝泊りすることを選択。

この時、季節は7月。

「この時期は、サケが川を上って食べ物が豊富だから、ヒグマは襲ってこない」との見識に基づいた判断だった。

体長2m超の巨大なヒグマが現れる
到着してから2日後の夜、異変が起こる。

宿泊用の小屋に備え付けてある食糧庫にヒグマがよじ登り、飛び跳ねていた。

発見したのは、星野の近くでテントを張っていたアメリカ人写真家。

体長2 m超・体重250 kgはあろうかという巨体を持ち、額に赤い傷のある雄クマだったと言う。
このヒグマ、数日前にも食糧庫を荒しており、どうやら空腹だったらしい。

なぜ食べるものに困らない時期のはずなのに、人間の食糧を欲するのか?

 実はこの年、サケの遡上が例年よりも遅れていたのだ。

さらに、この赤い傷を負ったヒグマが、地元テレビ局の社長によって餌付けされた個体であったため、人間への警戒心が薄かったとも考えられている。

深夜のキャンプ場で起こった惨劇
しかしこの時、そんなことは分かっていなかった。

「たまたまだろう」と思ったのか、星野は再三に渡るガイドの忠告を聞き入れず、テントでの宿泊を続行。

そして、2週間が経過したある日の深夜、悲劇は起こったのだ。

キャンプ場に突如として響き渡る絶叫。

その声がすぐに星野のものだと分かったTBSスタッフは、急いで小屋から出た。

するとそこには、額に傷のある例のヒグマが彼を咥えて、悠々と森の中へ戻っていく姿が見えた。

「テント!ベアー!ベアー!」とガイドに叫ぶスタッフたち。

それを受けて、すぐにガイドがシャベルで応戦したものの、それをもろともせずにヒグマは立ち去っていった。

森の奥深くで発見されたときには、星野は無残に食い荒らされた後だった。

以上はTBSが作成した「遭難報告書」に基づく内容なのだが、どうやらアメリカ人写真家やガイドの証言とは、いくつか食い違いもあるようだ。

果たして真相は……。

いずれにしても、野性の動物を相手にした時、いかに人間が無力で無知であるかを思い知らされる事件だった。

※尚、星野道夫氏が最後に撮影した写真としてこちらの画像がネットに出回っているが、襲撃は深夜4時頃の事であり、また撮影する余裕などないはずなので、これは完全なニセモノだと思われる。

星野道夫
星野道夫(ほしの みちお、1952年9月27日-1996年8月8日)
写真家、探検家、詩人。
千葉県市川市出身。

慶應義塾高等学校卒業後、慶應義塾大学経済学部へ進学する。

大学時代は探検部で活動し、熱気球による琵琶湖横断や最長飛行記録に挑戦した。

19歳のとき、神田の洋書専門店で購入したアラスカの写真集を見て、同書に掲載されていたシシュマレフ村を訪問したいと村長に手紙を送ってみたところ、半年後に村長本人から訪問を歓迎する旨の返事がきた。

そこで翌年の夏、日本から何回も航空機を乗り継いでシシュマレフ村に渡航する。

現地でホームステイをしながらクジラ漁についていき、写真を撮ったり漁などの手伝いをしたりしながら3ヶ月間を過ごす。

帰国してから指導教官にアラスカでのレポートを提出し、なんとか卒業単位を取ることができたという。

慶應大学卒業後、動物写真家である田中光常の助手として写真の技術を学ぶはずだったが、助手としてはカメラの設置や掃除・事務所の留守番などの仕事ばかりで、2年間で職を辞した。

1978年、アラスカ大学フェアバンクス校の入試を受けた。

入試では、英語(英会話)の合格点には30点足りなかったが、学長に直談判して野生動物管理学部に入学した。

その後、アラスカを中心にカリブーやグリズリーなど野生の動植物や、そこで生活する人々の魅力的な写真を撮影した。

しかしアラスカ大学の方は結局中退してしまう。

1989年には『Alaska 極北・生命の地図』で第15回木村伊兵衛写真賞を受賞する。

1993年、萩谷直子と結婚する。

翌1994年、長男・翔馬が誕生する。

1996年8月8日の深夜4時頃、TBSテレビ番組『どうぶつ奇想天外!』取材のため滞在していたロシアのカムチャツカ半島南部のクリル湖畔に設営したテントでヒグマの襲撃に遭い、死去。43歳没。

死の直前まで撮影された星野の映像は遺族の意向もあり、「極東ロシアヒグマ王国~写真家・星野道夫氏をしのんで~」と題し、後日放送された。

TBSが作成した「遭難報告書」による事件の経緯だが、星野が死亡していることもあり、本当に星野が小屋に泊まることを拒否したのか、事件は回避出来なかったのか等の真偽は不明である。

ガイドやアメリカ人写真家の証言と報告書との間に矛盾もあったことから、星野の友人らはTBSに対して公開質問状を送ったが、TBS側は報告書の一部間違いは認めたものの、事故を予測することはできなかったと回答している。

また遺族の意向もあり、追加報告書の作成は見送ったとしている。

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